大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和54年(ワ)12259号 判決

原告

井上順二

原告

井上智江

原告

井上豊

右法定代理人後見人

井上順二

被告

髙萩キミ

右訴訟代理人

並木俊守

被告

益子ちよ

右訴訟代理人

添田修子

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一被告らがいずれも昭和二九年三月当時山田病院院長山田康の被用者として同病院に勤務していたことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告らはいずれも右当時助産婦および看護婦の資格を有していたことが認められる。

二原告豊が、同順二および同智江の長男として、昭和二九年三月一五日午前八時ころ山田病院において帝王切開により出生したこと、原告豊は重症脳性小児麻痺に罹患し、原告らは、山田康の医療過誤による損害の賠償を求めるため山田康を被告とする別件訴訟を提起したことは、当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、原告らは、別件訴訟において、山田康の責任を追及するうえで、出生から約二時間後に原告豊が山田病院二階個室で仮死状態に陥つたことを重要な論拠として主張し、その立証のため、原告順二の記憶によれば、同原告の眼前において、右仮死状態にあつた原告豊に対して注射をうつた被告益子、人工呼吸を施した被告髙萩の各証言が最良の証拠になると考え、被告益子および同髙萩を証人として申請したことが認められる。

被告髙萩は、昭和五二年一月三一日、別件訴訟が審理されている東京地方裁判所民事第三三部の法廷において、証人として宣誓したうえ、同被告が原告豊に対しその出生から約二時間後に人工呼吸を施したことはない旨証言したことは、原告らと同被告との間において争いがなく、また、被告益子は、昭和五二年一月三一日、右法廷において、証人として宣誓したうえ、同被告が原告豊に対しその出生から約二時間後に強心剤と栄養剤の注射をしたことはない旨証言したことは、原告らと同被告との間において争いがない。

三そこで、被告らの右各証言が被告らの当時の記憶に反した虚偽のものであるか否かについて検討する。

1  原告順二の供述中には、同原告が昭和四二年ころ東京都中野区内で偶然被告髙萩と出会つた際、同被告は、同原告に対し、同被告が原告豊に人工呼吸を施し同原告を救つたと語つた旨の供述部分があるけれども、右供述部分はたやすく措信することができず、したがつてまた、原告順二作成名義の各書面中の、右供述部分と同趣旨もしくは右趣旨に副うような各記載部分もたやすく措信することができず、原告智江の供述中の、被告髙萩の右発言に関する供述部分は、その供述自体によつて原告順二から伝聞であることが明らかであるから、同原告のこの点に関する供述が措信し難い以上措信することができず、他に、被告益子が、その証言時において、同被告が原告豊に対しその出生から約二時間後に人工呼吸を施したことの記憶を有していたこと、または、この点に関する記憶が全くなかつたことを認めるに足る証拠はない。したがつて、被告髙萩の前記証言内容がその当時の同被告の記憶に反するものであるということはできない。

してみると、原告らの被告髙萩に対する本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がない。

2  〈証拠〉を総合すれば、原告順二および同智江は、昭和五〇年一一月一一日ころ、被告益子の寄宿先である東京都東大和市奈良橋九六五の三一二番地栃木俊夫方を訪ねて同被告と会つて話したところ、同被告は、同被告が原告豊に対し注射をして同原告の命を救つた旨を語つたこと、そのため、原告順二は、別件訴訟の証拠として被告益子の供述内容を録音しようと考え、原告智江ともども同月一七日再び右栃木方を訪ね被告益子と面談したが、その際も、同被告は、同被告が山田病院二階で生後間もない原告豊の背中に強心剤と栄養剤の各注射をうつた旨述べたことが認められ〈る。〉ところで、本件においては、右昭和五〇年一一月一七日の会話の内容について、被告益子が、原告順二および同智江に対し、故意に同被告の記憶に反して嘘を述べた旨の主張、立証はない。この点に関して、〈書証〉、被告益子の供述中には、昭和五〇年一一月一七日に同被告が原告順二および同智江に対して述べた内容は、原告豊についてのものではなく、原告順二の話に合わせて一般的にはこういうことだという趣旨で一般論として述べたものにすぎない旨の記載部分や供述部分があるけれども、右記載部分や供述部分はにわかに措信し難い。かえつて、〈書証〉、検証の結果によれば、(一)昭和五〇年一一月一七日の原告順二、同智江、被告益子間の会話は、なごやかな雰囲気のもとでなされ、語調には何らの不自然さもなく、また、右会話の初めから終わりにいたるまで、被告益子において、原告順二や同智江の質問もしくは話し掛けた言葉の内容を、とり違えたりあるいは十分に理解できないまま安易にこれに応答した節はなく、右三者間の会話はかみ合つた内容のものであること、(二)右会話において、被告益子は、原告豊のことが話題になり、しかも、場所についても、原告順二が「二階だつたでしよう」と訊いたのに対し被告益子が「二階の六号だよねえ」と答え、山田病院の二階六号室という話が出たのち、原告順二から「あの時二本注射をうつたのは間違つていねえのか」「あれ背骨へうつたんだよねえ」などと尋ねられ、「うん、その子の筋肉のここんとこへこう」などと答えたあと、注射したのは栄養剤と強心剤であると話しており、また、原告順二の「あの時小僧(原告豊のこと)はぐつたりしていたの、どうなつていたの」などの質問に対し、「わたし良く覚えねえんだよ。(略)どの子とどの子と錯覚起こす。確かに、あのう、呼吸があんまり出なかつたのは覚えているよ」と返答していることが認められるところ、右(一)の事実によれば、右会話において、被告益子が不注意によつてその記憶に反する供述をなしたとは考えられず、また、右(二)の問答の内容は、話題の対象が原告豊に限定されてからのものであることが明らかであることに照らせば、少なくとも、右(二)の会話の内容は、原告豊に関するものと考えざるをえない。以上に述べてきたところによれば、右(二)の会話における被告益子の発言は、当時の同被告の記憶に即してなされたものと推認するほかなく、したがつて、被告益子は、昭和五〇年一一月一七日の時点で、山田病院二階で(出生後間もない)原告豊に対して同被告が注射をうつた記憶を有していたものと認めるのが相当である。

ところで、原告豊の出生日は昭和二九年三月一五日であり、それから、右会話時の昭和五〇年一一月一七日まで二一年半の歳月の経過があるけれども、右認定のとおり、被告益子は、同日の時点では自分が原告豊に注射をした旨の記憶を有していたところ、その後一年数か月の経過によつて右と全く反対内容の記憶を有するにいたるということは、経験則上、とうてい考えられないから、昭和五二年一月三一日の証言時においても、被告益子は自分が原告豊に注射をした旨の記憶を有していたものと認めざるをえない。

してみると、被告益子の前記証言内容は、証言時における同被告の記憶に反するものといわざるをえず、右認定に反する被告益子の供述は措信でき〈ない。〉

四原告らは、被告益子の偽証により精神的苦痛を被つた旨主張して慰藉料の請求をするが、同被告の右偽証により原告らのどのような権利が侵害されたのかを具体的に主張していない。そもそも、刑法が偽証の罪を定めて守ろうとしているものは、国家の裁判権の適正な運用という国家的な利益であるから、偽証行為そのものによつて、直ちに、原告らの私的な権利が侵害されたことにはならない。また、別件訴訟における被告益子の偽証の内容が、原告らの名誉等のいわゆる人格権を侵害するものともいうことができない。結局、原告らが侵害されたというところのものは、被告益子が、別件訴訟において証言するときも、昭和五〇年一一月一七日に原告順二らに対して述べたのと同趣旨の証言をしてくれるであろうと同被告に対して寄せた原告らの期待であつて、右期待は、通常は、刑罰のもつ犯罪抑制の機能により事実上保護をうけることになろうけれども、いまだ私法上法的な保護をうける権利とまでいうことはできない。

してみると、右期待が裏切られたことによる原告らの被告益子に対する慰藉料請求は、その余について検討するまでもなく理由がない。〈以下、省略〉

(山﨑宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例